「古武術」カテゴリ一覧|ちょうさんのガンプラブログ!

復活稽古道具

 2009-02-03
本日より、以前あった稽古道具が復活しました。

杖。

です。

何故なくなったか。
槍と剣の稽古に没頭していたため、母が塀に添って生えている植木の添え木に使ってしまったのです。

その時はそんなに木にしなかったのですが。

最近、身体の感覚を磨く上で、やっぱり杖が結構重要かなと思い。
本日より復活。

ちょっと突く、回す動作してみるも、以前より扱いやすくなってることに驚きました。
槍の稽古もしばらく絶えていたので。



新鮮な感覚を楽しめそうです。



いじょ。
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京都稽古会

 2009-02-02
診察の恐怖の色が少しずつあせてきています。

そんな中2月1日。
甲野先生の京都稽古会へ参加してきました。

今回は、前に出る人が少なかったので、自分からどんどん技を受けにいきました。
また、リクエスト、古武術介護の僕なりに改良したのを観てもらったり。

高橋先生にも少しご指導いただき、新たな身体感覚を得ることができました。


特に、今回は甲野先生の剣術の技を受けることができたのがかなりの収穫かなと思います。
自分の剣術にくらべ、甲野先生はどんな技の境地にいるのか。

天と地ほどの差でしたが、技を受けれて本当に良かった。


剣が眼で追えたときには、もう打ち込まれている。


これでまた、古武術への意欲が少し戻ってきました。




それではまた。


いじょ。
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剣との合致

 2008-11-29
うつの状態は「なんとか、落ち着いている。」という状態だろう。
それは、薬の効果によるものでもあるが、最大の落ち着きはかけがえのないパートナーを得たこと。

「得た。」
と言う言葉にすると不快な感情を生み出すような気もする。
だから、言い直そう。

僕は、人生の中でかけがえのないパートナーに出会えた。

最近のうつの状態はその上記したとおりで、今は自分自身の先も見えないし、今を生きるのに必死だ。
その中で、もう覆せない感覚を掴むことが出来たのは本当に幸せなことだと思う。


近況は、この辺りで。

題名の「剣との合致」
2週間ほど前から、「前後斬り」という剣の稽古を行っている。
前に切り落とし、そこから後ろへ振り向いて斬り落とすという技。

剣の軌道はただ上から振り下ろす。

これは、高橋先生の本に着いていたDVDで観た稽古法で、甲野先生から編み出された稽古法だと思います。

この稽古を始めようと思ったのは、肩胛骨を含めた身体の各要所をうまくまとめて使えるようになるだろうと感じたからで。



最近は、稽古としての時間は取らず、ふとしたときに剣を取り、振っているのですが、日ごとに前後の斬り落としの間の、身体の切り替えが早くなっている、と感じてました。
うまく身体が作用してきてるのだと思います。

しかし、剣と身体がどうも一体化しない感覚がつきまとっていました。
この感覚は、いつかわからないけれど、気づけばそうなっていました。

剣をただ色々な方向に振っているときに、左手の添えてがどうにも邪魔になってました。
そこで、甲野先生が最近持ち手の左右の手の間をなくされた事を参考にして、少し左の添えての位置を刀の柄の一番端からやや真ん中よりしたの位置に変えました。

そうすることで、刀と身体が一つになった感覚を受けました。
身体の中で妙な納得もしました。



なぜ、持ち手の幅を狭くすることで剣と身体が合った感覚になったのか。
何となく、肩胛骨がうまく作用し始めたのかと思います。

可動域と動いている身体との連携がうまくいくことによって、いつしか刀の斬りが右の持ち手が支点になり、左の添えてでブレーキをかける役目をしていることに気付いたんだと思います。

つまり、結局身体で斬っているつもりでも、腕でテコの原理を作っていたのではないか。
身体全体がより自然に使えるようになってきた過程の中で、左の添えての不自然さに気づいたのかもしれません。

では、ブレーキ作用の役割はどこへいったのか。
それは、身体と一体化することで、役割が身体全体に散ったんだと思います。




新影流の創始者、上泉伊勢守信綱は言いました。
「剣は天地と一つ。」


剣と一体になり、より自然になること。
自然に帰すことで自然の万物と一体になる。


自然と合致した身体には、何人たりとも敵いはしない。




しかし、仏教にしても武術にしても。
行き着くところ宇宙・自然との一体化につながるのは、不思議。

術は不思議、不思議は術。
妙は不可思議、不可思議は妙。



なんだかまとまりのない文章ではありますが。





いじょ。
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11月1日 京都稽古会

 2008-11-02
昨日、11月1日に、甲野先生の京都稽古会+懇親会へ参加してきました。


6月頃に、初めて参加したので、今回は2度目。
前回は古武術の動きを応用した介助の方法を、主に体験させてもらいましたが、今回はたくさんの技を体験させてもらいました。
前回は初めての稽古会参加で、どうしたらいいかわからず、他の技を体験しにいけなかったと言った方がいいですね…。

また、先生のお弟子さんで、「びわこ成蹊スポーツ大学」教員の、高橋 桂三先生にもたくさん技を体験+教えていただきました。


甲野先生の稽古会の進行は、「最初にこれをやって、次にこれをやってみましょう」といった、順序立てる稽古会ではなく、「先生が思うままに技を披露し、疑問・質問・要望に合わせて変えていく」先生と参加者の意欲で自由に変わっていく稽古会になってます。

最初は挨拶から始まり、先生より、まず「体験する技・稽古会の捉え方」について説明があった後はもう、いきなり「私の手を掴んでください。」とすぐに始まっていきます。
その後、「こういった状況なら」と、どんどん技が変わっていき、体術、剣術、介護、日常動作等にいたる技や動きを体験させてもらえます。

なので、自分から行動を起こしていかないと、先生が相手をランダムに選ぶので、ただ立って先生の技を見てるだけで終わってしまう事になります。



前回からの反省もあって、今回はより自ら進んで技を受けにいくようにしました。

介護の身体の使い方の場面になった時は、僕が甲野先生に介助を体験してもらい、僕の身体の使い方が自然かどうかも見てもらえました。
「良いですね。良いです。」と「適切だよ。」と言った感じで誉めていただき、本当に嬉しい想いもできました。

前回参加していたのもなんとなく覚えてもらってたみたいで、「前回からの続き」といった感じで教えていただけました。


高橋先生からは、スポーツへの応用や、僕が直接甲野先生に質問できなかった事を聞いたり、技を体験させてもらい、自分でも驚くほど技ができるようになりました。
「身体の使い方をこうすればいいよ」と言われ、その通りにすれば一度で相手を崩せる技やぶつかる瞬間に抜き去る技ができるようになりました。

教えてもらって何度かやってできる人がほとんどなのですが、僕は一度か2度目ではもう技が相手に通るようになりました

また、自分が技をできる身体になっていることにも驚きました。



その中で、ずっと一人稽古でやってきた方向性が、身体にとって自然な動きに少しでも近づけていたことに、凄く感動しました。

一人稽古で掴んでいた感覚を、先生方に体験させてもらったり、教えてもらったりする中で、より明確になった感じというのでしょうか。
バラバラだった身体の使い方を一つにまとめて、応用できるようになったというのでしょうか。

自分自身でも、未だに、今までできなかった相手を崩したりする技ができるようになったことが、不思議でなりません。




稽古会の後は、先生と参加者の懇親会が行われ、その場でも先生とお話しすることができ、今まで聞きたかったことや今感じていることを話したりでき、とても「充実した」という言葉に見合う日になりました。

懇親会で先生にサインもいただきました。
サイン1 サイン2

「響きあう脳と身体」
甲野先生と、最近有名な脳科学者の茂木健一郎さんの共著です。

本の表にサイン。
実名なので出せませんが、表の裏のページに僕の名前。
本の裏には「風の先、風の跡」という言葉をいただきました。

この言葉は、甲野先生が参考にしている昔の剣術者が残した言葉の中の一つだそうです。

意味はそのままですね。
先にも跡にもなく、今の今。

技がかかるのは、未来や過去になにかあったからではなく、今この瞬間に様々な身体の働きがあるから。


今この瞬間を生きる。
と捉えてもいいかもしれません。


うつ病の僕にとって、凄く感銘を受けると同時に、何てタイミングの良い言葉なんだろうと感じました。
何気なく書かれた言葉だと思うのですが、数え切れないくらいの人に身体で対応してこられたので、僕にとって一番適切な言葉がただ何気なく出てきたのかな、とも思いました。





帰り際は、さすがに精神的に、肉体的にがつらかったですが…。
身体の中はガラリと変わった一日でした。

ここからまた、次の身体の使い方へと変わっていくのでしょうね。


感謝の一日でした。

11月末に滋賀で稽古会があるのですが、それはちょっといけそうにないんですが、機会が合えばまた参加していきたいな、と思ってます。


技の事等詳しくはまた書ければ良いなと思ってます。


以上おわり。
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居合いの稽古

 2008-10-28
先日、久々に居合いの稽古をみっちりやってみた。
日々、ふと気が向いた時間に刀を振ってみたりはしているものの、「稽古」としては久々。

しかし、抜くことに囚われすぎて力みすぎる。
結果。

上腕の筋肉が筋肉痛。


理にかなった動きならば、筋肉痛にはならない…。
腕だけで刀を振ろうとしたので、筋肉痛に。

身体全体が動いた結果として、刀が抜けた状態ならば、腕だけに力が集中しなかった。
そんな自分に反省しつつ。

気付けたことに感謝しつつ。


居合いを始めた頃は、「抜き打ち」すらできなかったのに、今はスッと抜けるので、それなりには身体の使い方が変わったのかなぁと思いました。
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